名古屋の副都心、大曽根。千種から1駅、栄まで5駅の地点に位置しjr、名鉄、地下鉄、ゆとりーとラインが乗り入れる名古屋のターミナル駅。駅から少し歩くとオゾンアベニュー、その奥にオズモールという商店街が見えて来る。しかし、商店街の入口を入るとそこにはマンションが立ち並んでいる。商店街にもかかわらず異様な光景だ。周りを見渡してもほとんど人がいない。初めて来た人は、ここは本当に商店街なのかと疑るほどだ。それにもかかわらず道路の脇には、大金をかけて作られたと思われる謎のブジェや水の流れる休憩スペースがある。道路の部分がかつて賑やかな商店街だったことをものがたっている。
大曽根は江戸時代から、名古屋を出て最初の宿場町として栄えていた。
戦後は名古屋のターミナル駅の商店街として大曽根本通商店街(現オゾンアベニュー、オズモール)も賑わっていた。 しかし昭和38年の土地区画整理事業都市計画により名古屋市主導の再開発の計画が進むことになる。
以下オゾンアベニューホームページ引用
そして昭和38年の土地区画整理事業都市計画決定に基づき昭和58年に大曽根近代化推進協議会が発足し街づくりの基本構想が発表されました。
その構想に対して賛成派と反対派に分かれ商店街活動も全組合一体になって出来なくなりました。
その後、名古屋市計画局の主導により商店街分断・また各店舗の移転交渉などが行われ組合員の件数が激減しました。 平成13年には大曽根土地区画整理事業をすべて完了するという名古屋市との約束により、平成9年にアーケードをすべて撤去しました。
オゾンアベニュー『歴史』http://www.ozone-ave.com/about/
昭和38年の土地区画整理事業都市計画決定では、アーケードを撤去し商店街の入口まで地下道を通し、街全体を賑やかにさせる計画のようだった。再開発当時は商店街の新しい形として注目が集まり、第1回愛知まちなみ建築賞を受賞した。しかし実際は賑やかになるどころか、アーケードを撤去したことにより人の流れは絶たれ、更には商店街を分断するように市道赤萩町線が建設され、市の無計画な開発によって商店街はもぬけの殻となってしまった。
大曽根の失敗から学べることは再開発は必ずしも街を良くするとは限らないということだ。街は無機質のように見えるが、街は人と人が交差する場所であり、人の流れ次第で街が生きるか死ぬかも決まるのだと思う。だから、巨額を投資してハコ物を作れば人が来るとは限らないのだ。街の文化や人々の感情をどう残しながら街を新しくしていくか、それこそが本当の『再開発』ではないかと思った。
これから大曽根を活気のある街にするにはどうすればいいのか?今後、近年の名駅再開発により更に街が衰退していくかもしれない。しかし前述の通りマンションの開発は進んでいて、新たな人の流れが期待できる。新たなマンション街と地元の商店街を融合させることができればもう一度名古屋の副都心として返り咲くことができるだろう。大曽根は新たな街へ生まれかわろうとしているのかもしれない。