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執筆者の写真nagoya2000

【名古屋のこれからを考える】未来の公共交通とは?

更新日:2020年6月27日


都市の人の流れは血管の流れと似ている。新幹線、特急、飛行機、フェリーなどが動脈で都市間の長距離大量輸送をする。都市圏の中心交通結節点(ターミナル駅、空港、港)に到着したら在来線、地下鉄が都市圏内移動を賄う。さらに在来線の駅を中心として末端にまで路線バスが走っている。

これが日本の公共交通の現状だと思う。ただこの話が通用するのは地下鉄が通っている5大都市くらいで地方都市では新幹線、特急、飛行機、フェリーなどで交通結節点に到着した後、都市圏内移動は大体、路面電車、バスなどだ。しかし路面電車は交通渋滞の原因になることから戦後多くの都市で廃止された。大都市では地下鉄への転換が行われたが地方都市では多くがバスへの転換となった。その結果交通結節点から直接各地域へバスが出るようになり、交通結節点近くの中心部では行き先の違うバスが重複して走るようになっていて効率が悪くなっている。

しかしバスは輸送能力、定刻運転に適していないものであり、その結果市民の自家用車への転換、つまり車社会への転換を促進させてしまい、それが中心部への人の流れを止めることになってしまい都市の中心部のドーナツ化が進むこととなる。それが結果的にイオンなど郊外の大型店に人の流れを変えてしまった。路面電車は鉄道、バス両方の特性を持っていて地上の道路の上を走行することにより、鉄道のような定時運行を行う上に、道路上に走っているので地下鉄のように登り降りが必要ないことから、短い区間の乗車も容易であり、都市の先端まで人を輸送することができる。それが都市全体をバランスよく発展させることにつながっている。その路面電車の廃止は地方都市だけではなく大都市にも影響が出ている。

名古屋市の上飯田駅は1931年に名岐鉄道(後の名鉄)小牧線の名古屋都心部方面の終着駅として開業し1944年に市電が乗り入れた。以降都心部と小牧方面を結ぶターミナル駅として栄えた。それまでは名鉄岩倉支線が小牧から犬山線岩倉まで走っていたため小牧線沿線住民は名古屋都心部へ岩倉支線を利用していたが、市電開業した為1964年に廃止されている。

しかしその7年後1971年に市電も廃止され、都心部への交通手段がバスだけになってしまい小牧線は完全に都心部へのアクセスが断たれた状態になってしまった。上飯田から名鉄を延長して名城線平安通まで上飯田線を通そうという計画があったが、結局それが実現したのは2003年。それまで空白の32年間の間に桃花台ニュータウンなど小牧を中心にしていた街は名古屋都心部とのアクセスが悪くなった小牧線を使わず、中央線などに客足が流れていった。その結果桃花台と小牧を結ぶピーチライナーは2006年に廃止となるなど地下鉄が通った今でも小牧線は空白の32年間の後遺症を抱えている。

年表[編集]

  • 1931年(昭和6年)2月11日– 名岐鉄道上飯田駅開業。

  • 1944年(昭和19年)7月11日– 名古屋市電が駅前に乗り入れ。

  • 1964年(昭和39年)3月10日– 駅ビル建設工事に伴い仮駅舎供用開始。営業キロを1km短縮[2]。

  • 1965年(昭和40年)12月20日– 駅ビル(名鉄上飯田ビル)が開業し[3]、同ビル内に名鉄ストアー(後のパレマルシェ)上飯田店開業[1]。同時期に駅ビル3階から上の公団住宅の募集開始。

  • 1971年(昭和46年)2月1日– 市電廃止。

  • 1987年(昭和62年)5月 – 自動改札機設置[4]。

  • 1991年(平成3年)3月22日– 発着線を1線増設しホーム1面2線となる[5]。

  • 2003年(平成15年)3月27日– 頭端式(島式)高架ホーム1面2線から地下ホームへ移転。トランパスに対応化。名鉄小牧線と地下鉄上飯田線の相互直通運転を開始。

  • 2007年(平成19年)3月31日– 翌4月1日から地下鉄上飯田線の運転業務を名鉄へ委託するのに伴い、この駅での運転士交代を中止。

  • 2011年(平成23年)2月11日– ICカード乗車券「manaca」供用開始。

  • 2012年(平成24年)2月29日– トランパス供用終了。

フリー百科事典ウィキペディア『上飯田駅』より

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%A3%AF%E7%94%B0%E9%A7%85

そこで脱車社会を実現する為もう一度路面電車を普及させようという動きもある。路面電車と鉄道を融合させたLRT,Light rail transitだ。富山ライトレールが2004年に一部廃線となったjr富山港線の線路を使い開業していて、鉄道ほどの需要はないけどバスでは賄うことのできない、都心部とその近くの郊外を結ぶ中間輸送を果たしている。鉄道に比べ1編成にかける値段が安くなり本数を増やせるようになったことからJR富山港線時代と比べ利用者数が大幅に上昇している。宇都宮市も導入を検討しているが巨額の投資が必要となり新潟の場合は多くの市民が反対している。

フリー百科事典ウィキペディア日本語版より『(富山港線富山ライトレール)(TLR0600形)』

しかしLRTは土地確保の問題や交通量の多い大都市では中々実用が不可能とされている。そこでBRT,bus rapid transitバス高速輸送システムが期待されている。中央に専用レーンなどを設け、中央分離帯に駅を設けることから定時運行ができ、さらにLRTより低コストで走らせることができる。日本では東日本大震災で被災した線路跡を使いJRがBRTを開業している。東京では2020東京五輪に向け環状二号にBRTを開通させる予定となっているが、豊洲新市場問題により築地市場の跡地に通す環状二号が開通しないと実現できない可能性もある。

フリー百科事典ウィキペディア日本語版より『(バス・ラピッド・トランジット){ブラジル・クリチバの乗換駅 (Linha Verde)}』

実はBRTの先駆け路線が名古屋市にある。基幹バス新出来町線だ。名駅、栄から茶屋ヶ坂駅、藤が丘方面に伸びており多くの区間で中央分離帯にバス停を設置し、専用レーンを設けるなど路面電車のような利便性が高い運行が出来ている。実際その効果も出ており『中央走行方式バスシステム導入による効果の事後評価』

https://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00039/200511_no32/pdf/352.pdf

によると他の市営バス路線A線,B線,G線と比較すると新出来町線は実績値が高くなっている。このことからも定時性という電車の良い点、安易に乗れるというバスの良い点、そして建設費が鉄道に比べて安いという、バスと電車の中間の役目を果たすことができる公共交通がBRT、LRTである。

BRTの先駆けとも言われている名古屋市の基幹バス。フリー百科事典ウィキペディア日本語版より『{基幹バス (名古屋市)基幹バス}{(基幹2系統白壁停留所付近)}』

BRTの導入を検討している自治体はいくつかある。『名古屋はなぜ田舎と言われるのか?』でも紹介したように名古屋市は魅力を向上する為リニア開通の2027年に向けBRTの導入を検討している。これが実現すれば日本でも数少ないBRT先進都市となるだろう。特に名古屋は『車社会』という街の発展にとって大きな課題を抱えていて、脱車社会に向け、鉄道空白地の利便性向上、都心部の回遊性を高めるための両方でBRTなどの新たな公共交通の導入を期待したい。

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